牛久町の冬の祭礼
八坂神社は合計15の当屋を出すグループを持ち、祭祀には上町・下町を中心として北に隣接する駅前の本町、南に隣接する城中も加わる。祭祀の中心となるのは氏子とトウマイと呼ばれる当屋の家だが、本町は多くの家が抜け、実質的に機能していない。当屋の一年は、①正月に神社で祈祷後オハコ(御箱)を受け、御歩射②家へオハコを移動し軽く振る舞いをする、以後一年間オハコを祀る③夏の祭礼で(その年の当屋として)神輿担ぎ④正月、御歩射の用意をしてオハコを持ち神社へ行く⑤神社で祈祷後、オハコを次の当屋へ送る⑥家に戻り宿振る舞い⑦夏の祭礼で(前年の当屋を送った家として)神輿担ぎ。(市史民俗P114の表5-2より)冬の祭礼は、戦前は1月23日から25日の三日間にわたって行われていたものを、現在は原則的には1月25日に当屋を出すグループごとに行われる。(23日はフナヤキ(鮒焼き)と言い、当屋で鮒を焼いた料理をつくり宴会をする日。24日はオビシャと言い、弓矢をつくりこれを八坂神社で射る日。25日はオハコ(御箱)という御神体を次の当屋に受け渡す日だった。現在は24日と25日の行事を一日で済ませる。)祭礼当日は、各当屋の家で朝から祭礼の準備をする。男性はオビシャに使う弓矢と的を製作し、オハコに巻く注連縄づくりをし、オハコの注連縄を新しいものと取り替える。女性たちは料理を作る。当渡しは、10時に一行はオハコを持った当屋を先頭にして、各グループごとに八坂神社へと向かい集まる。神前に各当屋のオハコ、御神酒、鮒をおくと、神主による祈祷となる。祈祷が終わるとオハコは新たな当屋へ渡される。その後、境内で当屋から順に持参した弓矢で的を射る。的に当たると「家内安全で豊作に恵まれる」という。トウアゲ(当上げ)は、11時頃に新たな当屋へ移動してオハコを飾る。そして簡単な料理をごちそうになる。ヤドブルマイ(宿振る舞い)は、午後3時に再び前の当屋の家に集合し宴会となる。平成4年正月の祭りの様子が市史民俗調査報告書Ⅱに詳しく記されている。この市史民俗調査報告書Ⅱには、上町・下町とは別に、城中の当屋グループのことも詳しく記されている。それによれば、八坂神社は城中全体の氏神社(ムラの社)で、一般にはテンノウサマ(天王様)と称されている。谷田部宿、南原、中城石神、根古屋の4つのツボ(坪)に分かれ、各々が一年交替でヤドを出し、ヤドは坪の中で輪回する。ヤドの座敷でオトウワタシとナオライ(直会)を行う。オトウワタシの際には正座して向かい合ったヤドとシタド(翌年のヤドを務める家)の間で御礼と御幣とをシメナワで結びつけたオハコが渡される。オハコの中には天明年間以来の祭礼帳が納められており、ヤドの神棚で一年間保存される。