牛久市無形文化遺産

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牛久市における無形文化遺産の概要

「民俗文化財」とは,文化財保護法第2条第1項第3号において,「衣食住,生業,信仰,年中行事等に関する風俗慣習,民俗芸能,民俗技術及びこれらに用いられる衣服,器具,家屋その他の物件で我が国民の生活の推移の理解のため欠くことのできないもの」と規定されており,有形の民俗文化財と無形の民俗文化財に大別される。では,標題にいう「無形文化遺産」とは,無形の文化財と無形の民俗文化財の両方のこととしてとらえておきたい。無形の民俗文化財には,風俗慣習(生産生業,人生儀礼,娯楽競技,社会生活・民俗知識,年中行事,祭礼信仰),民俗芸能(神楽,田楽,風流,語り物・祝福芸,延年・おこない,渡来芸・舞台芸,その他),民俗技術(生産生業,衣食住)が挙げられる。その他,重要無形民俗文化財以外の無形民俗文化財のうち,特に必要のあるものを文化庁長官が「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(通称:国選択無形民俗文化財)」として選択しているが,牛久市内にもこれに該当する「東関東の盆綱」が行われている。

 牛久市における民俗文化財・無形文化遺産を見てみると,何度かの大きな変革があったことがわかる。1回目は廃仏毀釈や文明開化を画期とする明治期,2回目は太平洋戦争やその敗戦を画期とする戦中・戦後期,3回目は平成期である。昭和が終わり,平成の世になると,年中行事や祭り・講は,日付が改められたり,土曜日・日曜日の週末に改められたり,担い手が代わったり,内容が簡素化したりするなど,今の生活様式に合わせて変容している場合が一段と増えている。これは,人々の意識が集団から個別へと移行していることに伴い,信仰活動も個人の時代へとなりつつあることも一因である。そして,4回目。これは,まさに進行中のコロナ禍を画期とする令和期である。コロナ禍で私たちの生活は大きく変わった。特に,年中行事や祭り・講については,簡素化や延期どころか,中止や廃止の声が数多く聞かれる。従って,牛久市における民俗文化財・無形文化遺産について,コロナ前とコロナ後,どのように変容したのか改めて記録に残していくことは非常に重要な意味を持つこととなる。

大関 武(牛久市文化財保護審議委員)


年中行事

「年中行事」とは,毎年特定の時期に行われる行事の総称で,四季や二十四節気など,農作業にかかわる事柄が多いが,宮中における行事や貴族・武士の行事が,民衆のくらしに取り入れられていったものもある。地域の共同体にとって大切な行事として位置づけられているものとしては,祭りなどの祭礼と,講などの信仰活動が挙げられる。年中行事は,暦や日付に基づいて行われるが,新暦(現行の太陽暦)・旧暦(伝統的な太陰太陽暦)・月遅れ(日付を新暦から1か月遅らせる)のいずれで行われるかは,地域によって異なる場合が多い。牛久市内には,たくさんの「民俗文化財・無形文化遺産」がある。そして,一つとして同じものはないといわれるくらい多種多様の様相を示している。「牛久市民俗文化財一覧」をもとに牛久市内の年中行事を見てみると,以下のようになる。

1月 正月(元旦祭・新年祈願祭),毘沙門様の祭り,道陸神様の祭り,金比羅様の祭り,観音様の祭り,牛馬の祭り,聖徳太子様の祭り,愛宕様の祭り,水神様の祭り,天神様の祭り,ビシャの祭り,冬祭り,春祭り
2月 初午,ビシャの祭り,三峯様の祭り,天神様の祭り,冬祭り
4月 大念仏,三峯様の祭り,春祭り
7月 冨士浅間様の祭り,祇園祭,かっぱ祭り,夏祭り
8月 観音様の祭り,盆綱・綱引き,荒れ除けの祭り,八幡様の祭り,地蔵様の祭り(万灯),不動様の祭り,石尊様の祭り(相撲)
9月 風祭り,道陸神様の祭り,金比羅様の祭り,八幡様の祭り,山王様(権現様)の祭り,聖徳太子様の祭り,甘酒祭り,団子念仏・餅念仏,秋祭り
10月 道陸神様の祭り,石神様の祭り,金比羅様の祭り,八幡様の祭り,秋葉様の祭り,恵比寿様の祭り,鹿島様(明神様)の祭り,愛宕様の祭り,稲荷様の祭り,足尾様の祭り(甘酒祭り),歯黒様の祭り,秋祭り
11月 鹿島様の祭り,熊野様の祭り,稲荷様の祭り,お十夜,大日様の祭り,氏神様の祭り,三峯様の祭り,恵比寿様の祭り,成田講,新嘗祭,不動様の祭り,秋祭り
12月 川浸り(川浸朔日・川浸り餅),恵比寿様の祭り,白山様の祭り,天神様の祭り,冬祭り

祭り

「祭り」とは,神仏,あるいは祖霊をまつること,またはその儀式を指すもので,非日常の特別な時間と空間を有するハレの舞台である。漢字表記では,「祭り」・「祀り」・「奉り」・「政り」などの文字が充てられる。祭りは,本来,神仏,あるいは祖霊に対し,祈願や感謝,帰依や崇敬の意思を伝え,その存在意義を再確認するために行われるものである。また,祭りには,年中行事や人生儀礼と関連して定期的に行われるものが多く,人々の生活と深く結びついてきた。集団的な行事である場合が多く,地域の共同体によって行われ,共同体統合ための儀式として機能してきた。その後,信仰性の他に,山・鉾・屋台行事や出し物・芸能披露といった娯楽性が加わり,祭りを行う者と祭りを見る者の分化が生じた。祭祀・祭礼・祭典ともいわれるが,祭りには伝統や秩序を重んじる厳かな神事・仏事の一面と,それに付随する賑やかで華やかな行事の一面の二面性を合わせもっている。


「講」とは,民俗的な信仰や祭祀を行う集団や組織,またはその行事や会合の総称で,その集団や組織は地縁・血縁的なものである場合が多い。講には,地域社会の中から生まれたものと,外部から導入されたものとがある。前者には鎮守・産土といった土地神や氏神を信仰する氏子によって祭祀が行われるものが挙げられる。後者には全国各地の神社・寺院へ参拝するための参拝講(総参や代参)などが挙げられる。また,講の中には,同業者や仕事仲間の講や,年代別の講,性別の講なども存在する。人々は神仏を心の支えに,地域社会の一員としてくらし,神社や寺院はもちろんのこと,いろいろな時,いろいろな場所,様々な場面で,神仏に祈りをささげてきた。人々の思いが多種にわたっていたように,祀る神仏も祈る人々も多岐にわたっていた。従って,祀る神仏によって様々な講が存在し,それぞれ特色ある信仰活動をしていた。その信仰や祭祀対象をもとに「(お)○○様」などの敬称で呼ばれるものも多い。その他にも,地名や目的を表すもの,日待・月待のような日付を表すもの,女人のような構成員を表すものもある。また,廃仏毀釈以降,仏を主尊として祀るのは憚られるようになったため,それを神に置き換え,僧侶から神職へ,念仏から祝詞へ,というような信仰活動の変革が行われたものもある。


牛久市における年中行事・祭礼信仰

鎮守様と産土様

 鎮守様とは,郷や村など集落全体を守る神様のことである。戦前・戦中までは,郷社や村社とも呼ばれていた。それに対し,産土様とは,自分が生まれた土地の神様のことであるが,坪や字などといった村よりも小さな範囲の土地を守る神様のことをいう場合もある。このような鎮守様,あるいは産土様のことを,「氏神様」と呼んでいる場合もある。どちらも地縁・血縁の拠と考えられている。

屋敷神様と屋内神様

 屋敷神様とは,屋敷地の隅などに祀られている神様のことである。その祀り方は,家々によってちがっており,石祠,木祠,瓦宝殿,藁宝殿といった祠がある場合だけでなく,石や木など自然物そのものの場合もある。このような屋敷神様のことを,「氏神様」と呼んでいる場合もある。それに対し,屋内神様とは,鴨居の上の棚や柱,戸口や火処,厠や厩など,屋内各々に祀られている神様のことである。

正月行事と歳神様

 一年の節目として,古来より人々は正月というものをことのほか大切にしてきた。正月には,歳神様と呼ばれる新年を司る神様が家々にやってくると考えられていた。そして,歳神様にその年の幸運を授けてもらうために,年末の準備から始めて正月が開けるまで,実に様々な正月行事が行われてきた。この正月行事は,現在でもよく残っている年中行事の一つということができる。

天神様

 天神様とは,天満宮や天神社の祭神である天満大自在天神,菅原道真公のことである。天神様は,道真公が優れた学者であったことから,学問の神様とされ,現在でも多くの受験生が合格祈願に詣でる。また,天神講は,子供会・子供組のような子供たちが中心となり,道真公の月命日とされる25日前後に行われることが多い。

ビシャの祭り

 弓矢は本来狩猟具や武具であるが,祭りに使われる祭具でもある。弓矢で的を射るまつりには,馬に乗って行う騎射と,馬に乗らずに行う歩射がある。騎射のことを一般的には流鏑馬といい,歩射のことをオビシャという場合が多い。流鏑馬もオビシャも,的当てによってこの一年を占う年占の祭りであるが,使われた弓矢や的も魔除けの御守として信仰の対象になる。しかし,牛久市内のビシャの祭りは,弓や矢を使用しないのが特徴である。

稲荷様と初午

 稲荷様は,稲荷神社の祭神である稲荷大神のことで,赤い鳥居と狐に象徴される。稲荷様は,神話に現れる倉稲魂命のことと考えられている場合が多く,神仏習合においては荼枳尼天が本地仏と見なされる。稲荷様は,本来,穀物・食物・農業の神様であったが,商業など産業全般の神様としても,屋敷神様としても祀られている。また,初午は,2月の最初の午の日のことで,稲荷様の縁日である。この日に稲荷講が行われる場合が多い。

浅間様

 浅間様とは,冨士神社や浅間神社の祭神である冨士大神,浅間大神のことで,お冨士様ともいわれる。牛久市内にも浅間神社が1社(県神社庁登録)ある。浅間様は,富士信仰に基づいて富士山を神格化したもので,女神とされており,神話に現れる木花咲耶姫命のことと考えてられている場合が多い。

祇園の祭り

 祇園の祭りというと,ユネスコ無形文化遺産にも登録された「京都祇園祭の山鉾行事」が有名であるが,牛久市内各所でも祇園祭が行われている。多くの場合,素戔嗚尊を祭神とする八坂神社の祭礼で,牛久市内にも八坂神社が2社(県神社庁登録)ある。疫病祓いなどの除災を目的とした夏祭りの代表格で,神輿が担ぎ出され,町や村を練り歩く渡御が行われる場合が多い。また,山車などの巡行が伴う場合もある。

不動様

 不動様とは,不動明王のことで,大日如来が諸魔調伏のため,忿怒の姿として現れた仏様と考えられている。不動様は,種々の願いごとに応えてくれるとされている。

相撲の祭り

 相撲は,単なる余興やスポーツではなく,神事としての性格も有している。神前で力や技を競い,二者のどちらが勝つかによって占う,あるいは勝ったことを神様に感謝する,というものである。7月に宮中で「相撲節会」が行われていたことから,相撲の祭りは夏に行われることが多い。この時期は,秋の収穫前であるため,豊凶を占い,風を除けて五穀豊穣を祈願する意味があると考えられる。

恵比須様

 恵比須様は,元からの日本の神様で,福神の代表格である。右手には釣竿,左手には鯛という姿で現される。恵比須様は,神話に現れる事代主命のことと考えてられている場合が多く,屋敷神様として祀られている場合も多い。

大日様

 大日様とは,密教における最高仏として位置づけられた大日如来のことである。大日様は,金剛界と胎蔵界という違う世界にそれぞれいて,どちらの大日様も主尊として信仰されてきた。また,天道様は,太陽そのもののことで,天道念仏といって念仏を唱えながら天道様を祀る講がある。太陽信仰を核に,出羽三山信仰,大日信仰,念仏信仰などが集合したものとされる。