1月1日
元旦祭り
元日の朝に元旦祭が行われる。氏子の人にオハコ(御箱)という木でできた白い箱を御札として渡していた。のちに木札に代わった。各家ではオハコを受けてくると一年間神棚に上げて祀った。参拝する際は、鏡餅と半紙に...
四季折々、彩り豊かに紡がれた伝統行事。
1月1日
元日の朝に元旦祭が行われる。氏子の人にオハコ(御箱)という木でできた白い箱を御札として渡していた。のちに木札に代わった。各家ではオハコを受けてくると一年間神棚に上げて祀った。参拝する際は、鏡餅と半紙に...
1月1日
小坂で行う初集会とは別に、「元旦祭り」と呼ばれる行事があった。熊野神社には神主がいないため他から神主を呼び、小坂で斎藤家と関わりの深い家が集まった。神事の際、フナドという竹籠に入れた鮒、餅、野菜などの...
1月3日
島田のビシャモンサマ(毘沙門様)の祠は、ある同族で祀っている。現在の祠は平成元年(1989)に建て直されたもの。市史民俗調査報告書Ⅰによれば、祭り前日の2日の夜、ゴノメノゼンに肉や魚を使わない料理を作...
1月3日
東猯穴では3日に各家の旦那が集まり初集会を行ったあと、全員で八幡神社へ移動し、新年祈願祭を行う。龍ヶ崎市の冨士浅間神社の神主を呼んで祈祷してもらい、御神酒をまわす。このあと午後からは新年会を行う。
1月6日
ドウロクジン(道陸神)の祠は八坂神社の裏手に立っている。ドウロクジンは足の神様であるといわれ、健康を祈願する意味を持つという。市史民俗調査報告書Ⅱによれば、祭りの日には草履、注連縄、御神酒、米などを供...
1月10日 ~ 1月11日
豊島佑吉家にある琴平神社(コンピラサマ・金比羅様・琴平様)の祭りで、正月の10日と11日に行われている。この日ヤド(宿)の家に集まって皆で甘酒をつくり、ごちそうを食べるなどの宴会をする。ヤドの家は毎年...
1月17日
祭り当日は、新年の護摩焚きを午前と午後一回ずつ二座焚く。この日檀家のある各地域から順番に5人手伝いの人が出て、お参りに来た人に甘酒を出す。
1月18日
モトヤマと呼ばれる木を切り炭焼きを行う人など、林業関係の仕事をする人たちで講を行っていた。当日は4、5軒の家の者が毎年集まり、掛軸もあった。山の安全を祈願する意味を持っており、山の神へ祈願を行っていた...
1月18日
奥野地域に、中央、東大和田、桂、報徳、井ノ岡、正直、島田、奥原の職人が加入している奥野職能組合があり、この組合では毎年この日に太子講を行っている。以前はまわり順で宿を決めて集まり会食していたが、今は飲...
1月18日
Y字型の卒塔婆であるザッカチをつくり、土浦市の大聖寺へ持っていって供養してもらい、それを持ち帰ったものを集落内の各所にある馬頭観音像の前に立てたという。昭和62年以降この行事をやることはなくなった。
1月18日
集落内の各所に馬頭観音があり、様々な祈祷や供養を行った。講は東、西の各坪に分かれ、馬頭観音の掛軸を当番の家でかけて行われた。耕作に使う牛馬を所有しなくなったころからやらなくなったといわれている。
1月22日
現在も旧牛久町地域の大工、左官、建具屋、屋根屋、畳屋の人によって太子講が組まれている。講で集まるのは年2回、1月と9月の22日で、当日は小祠に参拝して宿に集まり、掛軸をかけて赤飯を供えて会食する。また...
1月24日
毎月24日が愛宕様の縁日でお参りに行く人もいるが、1月は下根に住む人たちの多くが参拝に行く。この日の朝参拝に行き、家で炊いた赤飯を半紙の上にのせて供える。一年間火事のないことを愛宕様にお祈りする。赤飯...
1月25日
八坂神社は合計15の当屋を出すグループを持ち、祭祀には上町・下町を中心として北に隣接する駅前の本町、南に隣接する城中も加わる。祭祀の中心となるのは氏子とトウマイと呼ばれる当屋の家だが、本町は多くの家が...
1月25日
1月25日またはその前後の日に、子供たちの祭りである天神講が行われていた。天神様は学問の神様といわれ、この日男女別々に集まって行われた。子供たちは集まって遠山町にある鹿島の天神様にお参りに行き、帰って...
1月25日
八坂神社に一緒に祀られている天神様の祠へお参りに行き、山砂をまいて清めた。ヤド(宿)では菅原道真の掛軸をかけて習字や歌、ゲームなどをして楽しんだ。上町・下町では25日に男女別々にヤドを立てて行った。
1月25日
1月25日またはその前後の日に、子供たちの祭りである天神講が行われていた。天神様は学問の神様といわれ、この日男女別々に集まって行われた。子供たちは集まって遠山町にある鹿島の天神様にお参りに行き、帰って...
1月25日
八坂神社は合計15の当屋を出すグループを持ち、祭祀には上町・下町を中心として北に隣接する駅前の本町、南に隣接する城中も加わる。祭祀の中心となるのは氏子とトウマイと呼ばれる当屋の家だが、本町は多くの家が...
1月25日
“以前は飲料水として使用していたこの泉は、祭りの前に掃除をする。 石神坪、中城坪では独自に行うが、それ以外の坪は下町の八坂神社に水神様参りに行く(ほかの水神様は八坂神社に合祀しているため)...
1月25日
新地の弘化新田でも新地同様に坪ごとにヤド(宿)を定めて行われる。ここでは牛久沼のほとりにある水神様の祠に集まり、注連縄を張り柏手を打って拝む。この祠は、弘化年間に移住してこの地を開いた6戸の家が共同で...
1月25日
上坪、下坪それぞれの坪でヤド(宿)を輪番でまわし、そのヤドで行われる。ヤドに近い稲荷川沿いの田端に竹を2本立てて注連縄を張り、柏手を打って拝む。その後、ヤドで酒盛りを行い、坪内の決め事や相談事を行うこ...
1月25日
岡見にある八幡八坂神社氏子の祭りで、百姓の祭りであるといわれている。運営主体は、当番(ホントウバン(本当番)とも)、大当番(オオドウもしくはヤド(宿)といって神様の泊まる家とされ、毎年1軒がオオドウに...
1月25日
島田の天神講は、市史民俗にはマゼゴハン(混ぜご飯)の項目に名前が出てくるのみで、市史民俗調査報告書Ⅰに詳しく記されている。この日は上、下ごとにヤド(宿)の家に子供たちが集まり、マゼゴハンを御馳走になっ...
1月25日
餅花を使ったナラセモチ(ならせ餅)をとっておいて天神様に持ってお参りに行った。参加するのは小学生の子供たちで、朝ご飯を食べた後、男女それぞれのヤド(宿)へ出向き、縄跳び、お手玉など夕方まで子供たち同士...
2月10日
神社では鍬や鎌などの農具、だるま、植木、台所用品の市が立つ。井ノ岡や柏田などでは、この日は赤飯とスミツカレ(大根を荒めにおろし、節分でまいた豆の皮をむいたものに、酢と砂糖を加えたもの)をつくって食べた...
2月10日
毎年、女性が2月の初午に集まり、稲荷様の祠に参拝する。
2月10日
新地では上坪と下坪が交代で祭りを運営し、運営にあたる坪からヤド(宿)を出す。運営にあたる坪は前もって新旧2つの稲荷神社を掃除しておき、初午当日ヤドで用意しておいた幕を男衆が稲荷神社にかけに行く。ヤドに...
2月15日
鹿島神社の冬の祭礼をオピシャというが、弓矢で的を射ることはしない。坪ごとに当屋に集まり、神社に参拝する。そして集会所で共有の帳面に次の当屋の名前を書くカキカエ(書換え)を行う。この帳面は当屋に回し、坪...
2月19日
2月19日に6人の代表が埼玉県の三峯神社本社へ代参に行って御札を買って帰ってくる。代参の費用は、その年と前年の第三者が家々をまわって集める。代参の者が戻ると、新地にある三峯様の祠に新しい御札を納め、講...
2月25日
小坂の天神講は、天神様の項目に、小坂の天神様を祀る祠が確認できる範囲で市内で一番古いことが記されているのみで、市史民俗調査報告書Ⅳの子供会の項目に詳しく記されている。小坂の子供会は天神講が活動の中心で...
4月5日
柏田神社の春の祭礼。名称は明治時代以前の神仏混合の時代の名残だという。現在は氏子総代と神主(龍ヶ崎市の冨士浅間神社)による神事が中心。
4月13日
祭礼当日は、午前中にトウケ(当家)という当屋の者が境内の清掃と準備を行い、午後には氏子総代と氏子の者が集まる。そして神主(龍ヶ崎市の冨士浅間神社)と神事を行い、各自玉串を奉納して直会となる。直会には各...
4月19日
春秋2回、4月と旧暦10月の19日に行われる。毎年4月18日に代表4人が埼玉県の三峯神社本社へ代参し、講の人数分の御札を受けてくる。講中の人は翌19日の午後に島田の三峯様の小祠へお参りし、その後はヤド...
4月19日
上町・下町の三峯講は4つの組、計14人の世話人がおり、毎年埼玉県の三峯神社へ4月18、19日に代参する。以前は泊りだったが、現在は日帰り。費用は講金で賄われるが足らないため半分は自己負担。代参から帰る...
7月17日
戦前は青年会が主体となって、観音堂で旧暦の盆の7月17日に観音祭りをした。市史民俗調査報告書Ⅲによれば、祭りがなくなってからも、この日がカンノンマチ(観音祭)だからといい、観音堂の古くなった幕や本尊の...
7月25日 ~ 7月28日
21日に神社境内の草刈りと清掃を行う。25日の朝、八坂神社へ集合し、注連縄張り、オカリヤ(御仮屋)づくりとなる。以前、オカリヤは上と下で交互に建てたが、集会所に建てるようになり、のちに神社境内に建てる...
7月25日 ~ 7月28日
祭礼は7月25日から28日まであり、上町と下町が交互に当番を務める。25日は八坂神社の倉庫にある御仮屋の材料をトラックで運び、旧国道6号の上町と下町の境に建て、御仮屋と並行してその横の街道にオオジメ(...
7月27日
この日はモライギオン(貰い祇園)といって、嫁が初めて祇園祭を迎えた年は、姑とともに夏着を着て祭りに出かけたり、各家でこの日だけは赤飯を炊き、餅をついて祝ったという。また、餅を嫁が大きな重箱入れて実家に...
7月28日 ~ 7月29日
下根の祇園祭りは五十瀬神社の祭りであり、古くから住んでいる家々によってヤド(宿)が交代で運営されている。祭礼期間中、神輿をおさめるオカリヤ(御仮屋)での監視活動は行政区の消防団の仕事になっている。団員...
7月30日 ~ 7月31日
かっぱ祭りは、市民祭りとして毎年7月の最終土日に開催されている。かっぱ祭りの第一回は昭和56(1981)年にふるさと祭りとして開催された。かっぱ祭り開催一覧表が市史民俗P32に掲載されている。祭りのメ...
8月10日
慈眼院の隣にある観音堂には十一面観音様が祀られており、当日は長泉寺の僧侶、区長、各組合の代表が集まり、観音経をあげる。念仏講が盛んであったころは、講の人たちが経を唱和した。
8月10日
旧暦7月13日の午後、藁をもらい集めて盆綱をつくった。田宮では盆綱のことをジャ(蛇)ともいった。頭に薪を入れ、ナスで目の形をつくった。夕刻、大きな子供が2人先頭に立ち、十数名の子供が墓地へ行き、「仏様...
8月10日
盆綱(蛇祭り)は、お盆の際に綱を作って、その綱で綱引きをおこなったり、子ども達がかつぐもので、ご先祖様をおぶってくるもの、仏様の使いと言われている。牛久市域ではかつて、岡見町や東猯穴町でも行なわれてい...
8月13日
東猯穴の盆綱は「ご先祖様をおぶって来てくれるもの」とか「仏様の使い」と呼ばれ、子供たちが仏様を乗せて各家をまわっていく。しっぽはご先祖様が乗るといわれ最後尾には必ず男の子が背負うようになっている(以前...
8月13日
岡見の盆綱は大正初年ごろまで行われていたが、現在では行われていない。市史民俗では昭和39年に藤田稔氏が報告した牛久の盆綱の様子を載せている。8月13日の朝、集めておいた藁で頭部、尾部、胴部を別々につく...
8月15日
この日、八幡様の祠に参拝し、注連縄を新しくした。毎年まわり順で宿を決めて集まり、掛軸をかけ、これを拝んてから会食した。現在は中断している。
8月19日
市内には多くの地蔵様が祀られているが、なかでも猪子の地蔵様は一時的に近隣から多くの参拝客を集めた。昭和30年ころまで、8月19日の地蔵様の縁日で、青年会が祭礼を取り仕切り、清掃などは念仏講の人たちが行...
8月27日
城中の不動様は、根古屋不動尊の名で知られている。27日、28日には近隣から参拝客が集まった。市史民俗調査報告書Ⅱによれば、不動様はお産の神様といわれ、安産祈願の御札をうける人が多かった。
8月27日 ~ 9月15日
この祭りは第二次大戦前に行われていたもので、現在は行われていない。日にちは固定されていなかったが、行う3日前から全戸にサシと呼ばれる名札を細長い縄で縛ったものをまわし、各家はそれにお金を入れた。これは...
8月28日
石尊相撲という名称から、明治時代に合祀された阿夫利神社の祭礼であったことがうかがえる。祭り当日には幟を立て、土俵と桟敷をつくり、神事のあとに相撲をとった。戦前は興行としている人を呼ぶこともあったが、戦...
8月27日 ~ 9月15日
この祭りは第二次大戦前に行われていたもので、現在は行われていない。日にちは固定されていなかったが、行う3日前から全戸にサシと呼ばれる名札を細長い縄で縛ったものをまわし、各家はそれにお金を入れた。これは...
9月1日
稲の収穫が始まるこの時期に台風が来ないように願う行事といわれ、荒れ除け祭りと同様の意味づけで行われていた。この日農作業は休みとなった。
9月6日
正月6日のドウロクジン(道陸神)の祭りと同じ。年二回ある。
9月10日
この祭りでショッキリ(初切)と呼ばれる奉納相撲が行われる。現在は神事に関わるのみで相撲競技は行われない。青年会があったころの奉納相撲は相撲大会が祭りの目玉で、近隣から青年たちが参加して大変賑やかであっ...
9月10日 ~ 9月11日
1月10、11日のコンピラ祭り参照。コンピラサマ(金比羅様、琴平様)のお祭りで、市史民俗調査報告書Ⅱによれば、正月と9月の年二回、10日と11日に行われる。
9月10日
9月上旬は収穫作業を含めて忙しい時期だが、この日が祭りの日なので農作業は休みとした。もともと旧暦9月10日だったものが新暦9月10日に変わり、現在はこの日に近い日曜日に行うようになった。
9月19日
この日、年寄りが餅を持って慈眼院に集まり、念仏を唱えた。市史民俗調査報告書Ⅳによれば、毎年春に小坂地区で餅念仏、秋に桂地区で団子念仏があり、それぞれ家単位で餅と団子を交換していた。桂地区では家で団子を...
9月19日
各家のうるち米で団子をつくって金剛院へ持っていき、仏前に供える。そして金剛院にある大きな数珠を出し、鉦と太鼓を叩きながらこれをまわして念仏を唱える。団子念仏には、先祖供養、悪疫祓い、家内安全、五穀豊穣...
9月20日
毎年順番にヤド(宿)を決めて集まっている。祭り当日は各家から夫婦で集まり、神主とともに祠に参拝して注連縄を新しくする。粢、甘酒、酒、混ぜご飯を供え、祠の前で神事を行い、御神酒をまわす。その後、ヤドで会...
9月22日
1月22日の太子講と同じ。集まるのは年2回、1月と9月の22日で、当日は小祠に参拝して宿で会食する。市内には、下町の八坂神社以外にも聖徳太子様を祀る小祠が下柏田、島田、久野に1基ずつある。
9月28日
井ノ岡神社の祭礼は当屋制で、4つのグループごとに毎年各一軒が交代で出る(出るのはほぼ家の並び順)。各当屋には、オミヤ(御宮)という御神体の入った祠がまわされる。また4つの当屋の代表としてシメモトが一軒...
9月28日
毎年当番でヤド(宿)をまわし女性や子供が集まって、甘酒を飲みながら一日過ごす。里芋やキンピラゴボウなどをこしらえて皆で食べた。参加する各家から米一升くらい出してもらい麴を買って甘酒を作る。現在では参加...
10月1日
道陸神は足を丈夫にしてくれる神様といわれ、女性による講が行われていた。城中では坪により参拝場所が違い、南坪ではイナリサマ(稲荷神社)、谷田部宿、石神、中城の各坪ではテンノウサマ(八坂神社)へ、竹に注連...
10月9日
島田の石神様は子宝授与、性病快癒にあらたかな神様として人々の信仰を集め、明治から大正時代の祭日は「石神銀座」と呼ばれるほどの賑わいをみせた。明治時代の一時期は地域全体で祀っていたこともあったが、当初か...
10月10日
毎年宿を決めて集まる。当日の夜、参加者は身体を浄めてから宿の家にいき、掛軸を拝み、酒や料理を食べる。この講は坪単位ではなく、明治時代に1か月ほどかけて香川県の金刀比羅宮へお参りにいった人たちが、帰った...
10月15日
八幡講として数軒の家が集まり、祭祀をする。帳面、掛け軸、御神灯(提灯)はあらかじめまわしておき、当日は神主とともに柏田神社の参道にある祠に参拝し、神事を行う。現在は赤飯を供えるが、以前は粢、豆の入らな...
10月16日
八幡神社の境内に明神様の小祠がある。明神様はもともと鹿島神社を祀ったもの。以前は明神久保と呼ばれる土地にあったが明治時代の初めに現在地へ移動した。一年度に当屋を決めてオミヤ(御宮)、もしくはオドウ(御...
10月16日
祭礼全体の当屋をホンドウ(本当)、次に当屋となる家をシタドウ(下当)といい、両家は祭礼前に鹿島神宮に参拝し御札を受けてくる。ホンドウは祭礼前に甘酒も用意する。当日、ホンドウを中心に朝から新たに注連縄を...
10月17日
アキバサマ((秋葉様)アッキャサマと呼ばれている)は火災除けの神様と言われる。以前は青年団で祭りの運営をしていたが、今は老人会が管理している。祭り当日は祠を開帳し、正源寺の僧侶が経を唱える。土俵をつく...
10月19日
現在は婦人会が主体となっているが、以前は青年会と婦人会(または女子青年会)が主体だった。祭り当日は、愛宕様の像を洗い、紫の幕、よだれ掛け、頭巾を新しくし、古いものはその場で燃やす。正源寺の僧侶に経を読...
10月19日
祭り当日は、神主に来てもらい、供物をして神事を行う。その後、宿に移動して会食する。また、この日に甘酒をつくって飲む。戦前は免田という税金を免除された愛宕様の神田があり、祭礼費用を賄っていた。数軒の家々...
10月20日
上町・下町では、恵比寿講を農家と商人とで分けている。この日は商人の恵比寿講で、商売をやっている家がお得意様を招待してごちそうをした。ほかは12月8日の農家の恵比寿講と同様。
10月23日
歯痛を治す神様だといわれている。個人の家が祀っているもので、藁で作られた祠である。祭日には赤飯を供え、注連縄と祠の中の幣束をを新しくした。市史民俗調査報告書Ⅰによれば、この祠はワラミヤ(藁宮)といい、...
10月23日
柏田神社境内に足尾様の石造の祠がある。祭り当日は当番の者が甘酒をつくった。そのためこの祭りのことをアマザケマツリ(甘酒祭り)という。かために煮た甘酒を祠に供え、そして太鼓を叩いて甘酒がてきたことを知ら...
10月23日
南原坪全体の祭りであり、本来は戸主である男性によって行われる秋の祭りだった。現在は主婦が参加してもよい。ヤドをまわり順で決めて、トウバン(当番)に当たった家で皆で食事をする。
11月3日
市史民俗では、鹿島様の祭りで甘酒を作り振る舞ったとある。市史民俗調査報告書Ⅰによれば、鹿島神社はムラの鎮守でカシマサマ(鹿島様)、オボスナサマ(産土様)、ミョウジンサマ(明神様)等と呼ばれる。祭りは氏...
11月6日
“オジュウヤ(お十夜)はジュウヤマチ(十夜待ち)ということもある。 この日、浄妙寺に江戸崎町安福寺から僧侶が来て、檀家総代をはじめ、新仏のある家の親族が寺に集まる。檀家総代たちは10日間、...
11月6日
小坂では熊野神社はウブスナサマ(産土様)と呼ばれており、地区全体で祭りが運営される。その年の祭りの世話をする家はトウバン(当番)もしくはヤド(宿)、当番の家と同じクミアイ(組合)の家々はトウバンクミア...
11月8日
井ノ岡では13日にお十夜、その翌々日が大日様の祭日のため、お十夜と連続した行事と意識されている。当日は、檀家総代など2、3人で大日様にお参りし、注連縄を新しくして酒を供える。
11月10日
以前は11月15日が祭日だった。当日は小祠の注連縄と御幣を新しくして、赤飯、粢、甘酒を供えて参拝する。神事が終わると、小祠の前で御神酒をまわし、そのあと宿で会食する。このとき赤飯と蕎麦を食べる。祠には...
11月13日
当日は神事のあと、当屋を申し送る当渡しを行う。久野は5つの坪に分かれているが、祭礼では上久野、中根・賀田、塙、赤井の4組でそれぞれトウヤ(当家)を設けて祭りを行う。神事は共同で行うが、トウワタシ(当渡...
11月13日
市史民俗には、当日は甘酒をつくって振る舞い、神事のあとにトウワタシ(当渡し)を行うとある。市史民俗調査報告書Ⅲによれば、祭礼の運営の中心となるトウケ(当家)を次の家に渡すトウワタシが秋の祭礼の中心とな...
11月13日
上町・下町と同様に、この日は商人の恵比寿講で、商売をやっている家がお得意様を招待してごちそうをした。ほかは12月8日の農家の恵比寿講と同様。
11月13日
この日、枡にお金を入れて神棚に供え、ボタメシ(牡丹飯)をつくって尾頭付きの魚を供えた。昭和30年代にはやらなくなった家も多くなった。もともとは2月8日にも行っていたと伝えられている。
11月13日
この日、2斗笊をつけた長い竹竿を軒に掛け、その下にお金をまき、子供に拾わせた。「エビスサマ(恵比寿様)がお金を袋にしょってきてまいてくれた」と大人は子供にいった。
11月13日
日常麦飯を食べていた時代は、白ご飯が食べられる日だった。けんちん汁も合せて食べた。神棚のエビスサマ(恵比寿様)に川魚を捕ってきて供えたが、捕れなかった場合はご飯とけんちん汁を代わりにお供えした。そして...
11月13日
島田の約半数が三峯講の講中となっており、春秋2回、4月と旧暦10月の19日に行われる。内容は春と同様だが、秋は桂から神主が来て皆でお祓いを受ける。また、春に代参に行った4人がクジを1本ずつ引いて翌年の...
11月15日
各家の屋敷地内で祀る神様のことをウヂガミサマ(氏神様)と呼ぶ。ウヂガミサマは石や木の祠の場合もあるが、以前は竹と藁でできた祠が普通であり、この祠をワラホウデン(藁奉殿)といった。ワラホウデンは毎年、ウ...
11月15日
秋祭りは収穫を神に報告する意味を持つ。祭りの前日に注連縄を作り、八幡神社と愛宕神社に奉納する。八幡神社の注連縄の方が太めに作られる(市史民俗調査報告書Ⅲによれば、注連縄には「正宗」と大筆したワラヅト(...
11月20日
毎年11月20日前後に代参の3人が千葉県の成田山新勝寺に参拝する。一泊して早朝に護摩を焚き、祈祷を受けて帰り、帰宅後に講中へ御札を配る。
11月21日
市史民俗調査報告書Ⅱによれば、この日は農家の仕事は休みで、ボタモチ(牡丹餅)などを作って祝った。かつては、この日に食べる餅はメンデン(免田)で作った米で搗いたものだった。祭りはヤド(宿)が決められ、祭...
11月23日
当日は神事と直会のあと、当屋を申し送る。猪子では当屋は1軒ではなく、家の並びごとの4軒1組で申し送っていく。
11月25日
市史民俗には写真掲載のみ。市史民俗調査報告書Ⅲによれば、この祭礼は収穫祭を意味し、新嘗祭とも呼ぶ。春の祭礼と同じく龍ヶ崎市の冨士浅間神社からシンカン(神主)に来てもらう。当日は氏子総代長と総代、オチャ...
11月26日
当日、各地域の檀家の人が寺に集まり、寺では一人一人にお膳を出す。食事の準備は毎年順番に当番の地域が決まっており、前日に一軒一人が寺へいき泊りで準備をし、当日は接待をした。現在は当日のみの参加。以前はこ...
12月1日
市史民俗調査報告書Ⅱによれば、この日に川や沼あるいは井戸などに、餅をついて丸めたものを流した。流すほかには自家で食べたりしたが、あくまでも流すのが目的なので、よそに配ったりはしなかった。餅を川に投げ込...
12月1日
12月1日、奉公人が実家に帰るときのおみやげとして餅をついた。それとは別に、家の人が餅を小野川に投げ、それを先を尖らせた竹で突いて拾って焼いて食べた。この餅を食べると風をひかないといった。市史民俗調査...
12月1日
市史民俗調査報告書Ⅳによれば、この日に餅をつき、その餅を小野川に投げ捨て、拾って焼いて食べた。これは子供が川に落ちてケガ(怪我)しないようにという水難除けの意味があった。また、これを食べると風邪をひか...
12月1日
この日、餅をついて川や沼、井戸などに餅を丸めて投げ込んだりしたことが市内各地区に伝えられているが、現在は行われていない。市史民俗調査報告書Ⅰによれば、戦前には12月1日をカワピタツイタチ(川浸朔日)と...
12月8日
上町・下町と同様に、この日は農家の恵比寿講で、2月8日の事始めに出かけたエビスサマ(恵比寿様)が帰ってくる日とされた。2月8日をデカゼギエビスコウ(出稼ぎ恵比寿講)、12月8日をカエリエビスコウ(帰り...
12月8日
この日は農家の恵比寿講で、2月8日の事始めに出かけたエビスサマ(恵比寿様)が帰ってくる日とされた。2月8日をデカゼギエビスコウ(出稼ぎ恵比寿講)、12月8日をカエリエビスコウ(帰り恵比寿講)とも言う。...
12月15日
白山様の祠は石造で、柏田神社の参道にある。祭り当日は数軒が集まって祠に参拝し、赤飯と酒を供える。宿を申し送るのは毎年ではなく、不定期で数年ごとになっている。
12月15日
12月の祭礼は本来、井ノ岡神社の前身の大杉明神の祭礼。基本的な祭礼のシメヨリ、神事、直会という流れは9月と同じ。当日は朝から新集会所でシメモトの坪の男性たちが9月と同じ大きな注連縄をつくる。新集会所の...
12月25日
市史民俗調査報告書Ⅲによれば、この日にヤド(宿)に小学校の子供たちが男女別々に集まり、習字をして祠の前にのぼりを立ててお参りした。また、マゼゴハン(混ぜご飯)やキンピラゴボウを作って食べ、夜まで遊んだ...